カエル農法

今日はカエル探検隊の河童たちとカエル農法で作られている田んぼの見学に行ってきた。
学校の授業とは関係なく、沢山のこども達が集まっていることに喜びを感じ、同時に隊長の行動力に頭が下がる。
実際のところ、カエル農法云々ではなく、如何にこども達をこの様な場に引っ張り出すかが重要だと思う。
さもすれば、塾の夏期講習だスポーツクラブだとこどもは型にはめられたキョウイクを押し付けられる傾向にある。
しかし、本来こども達が、その豊かな感受性をはぐくむのに必要なものは、5教科でもスポーツでもない。
紛れもなく、泥んこになって生き物と戯れることなのだ。



泥んこになりながら、必死でカエルを追い掛け回すこども達の目の輝きを見れば、今の教育の在り方が、如何に的外れか分かって頂けると思う。
カエル農法を平たく語ってしまうのは失礼だが、言うなれば「昔ながら」に戻せと言うことだ。
キーワードは「無農薬」にある。
農薬とは、人と田んぼの関係を切り離した毒薬である。
人はこの毒によって労働を半減した。しかしその裏で、米の有り難味も半減した。
半減したものは労働と米の有り難味だけか。
いや、人と田の間にいた生き物も半減したのである。
ならば農薬とはなんなのか。農家を重労働から解放するための妙薬なのか。
下草刈りや害虫駆除の手間が減った分、農家は楽が出来ているのだろうか。
豊かな生活とは、楽をすることではないと言うことを、今こども達に教えて行かなかったなら、日本の将来はない。
ならば、農業こそがいまもう一度、見詰め直される時期に来ているのかも知れない。
こどもと言う自然を、先生たちが人として教育する場もまた、自然の中にあると私は思う。
そして、人と自然を上手く結びつけるものが、おそらくは田んぼなのであろう。