ナナフシモドキ

今朝は出勤すると、玄関にナナフシモドキが居ました。
いつも何かすら居る玄関ですが、ナナフシモドキは初めて。

標本にして記録取ろうかと思い連れ込みました。

まず、標本にするにはアセトンに漬けるそうです。
この時間がなかなか微妙らしく、短いと締められず長いと色合いが鮮やかに成りすぎて不自然になってしまう…。

どうしたものかと考えて、今回は20秒くらいでと思ったら『結構県博の周りに居ますよね。喫煙所辺りに特に…。それと、標本箱もそこそこいっぱいでしたよ。』と。

う〜ん…そう言われてしまうと、あえて標本にしなくてもいいかなぁ。

そんな訳で命拾いしたナナフシモドキちゃんでした。

記録って難しいですね。
表全面に押し出される“可哀想”と言うジレンマで残せなかったりするんですから。

日光の鹿はね、世論が殺害を許さなかったんですよ。
ところが、もうなんでもかんでも食べられちゃって、待った無しとした人達が、ちゃんと記録取るからって事で許可取ったんですよ。
しかし、今じゃどうかって、行政も殺処分目標立てちゃって、ノルマを達成するために殺処分してたりします。
そして記録は取られず焼却処分です。

可哀想ですか?
じゃ、どうします?

ちゃんと記録を取っておけば、善悪どちらに転ぼうが、検証することができる。
やっぱり記録は大切ですよ。

でも、可哀想…。

永遠に出せない答えかも知れません。